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 源平合戦ゆかりの社寺を巡る  

平家物語巡り事務局 香川県高松市牟礼町牟礼1450六萬寺内
電話 087‐845‐723
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平家物語について



 平家物語は鎌倉時代に成立したと思われる、平家の繁栄と凋落を描いた軍記物語である。


源平合戦屏風

「源平合戦図屏風」 赤間神宮所蔵  伝 狩野元信 作


 
平家物語あらすじ         
 

 1156年、朝廷の皇位継承問題などの内紛に源氏と平家の武力が加わり起こった政変(保元・平治の乱)を制した平清盛は、後白河法皇の覚えもめでたく官位を上り詰め、武士として初めて太政大臣となった。嚴島神社の社殿の造営、日宋貿易で国を富ませ、大和田の泊を開港し現在の神戸港の礎を築くなどの功績を上げる一方で、一族の者を次々と朝廷の要職につけ、国の約半分を平家一門の領地とした。

  これを快く思わない旧勢力である公卿や、新たに力をつけつつあった各地の武士らが平家の打倒(鹿ケ谷の陰謀・以仁王の挙兵)を企てるも、清盛の娘、徳子の産んだ皇子が安徳天皇として即位するなど平家一門の栄華は続き、その不満は高まっていく。1180年、争いのさなか平家は東大寺大仏殿を焼き、多くの民や僧侶たちが犠牲となった。翌年に清盛は熱病を患い64歳で没。その後、清盛を失った平家一門は木曽義仲に都を追われ、源義経の無双の活躍でもって、一ノ谷の戦、屋島の戦と敗走し、ついに1185年、壇ノ浦で最期を迎える。

その後、平家を討った義経も兄、源頼朝に討たれ、その頼朝もまた、鎌倉幕府成立からわずか4年で世を去った。


平家物語は私たちに語りかける

清盛の生きた平安末期は日本の王朝文化の極まれる頃であった。その中に育った平家の公達らは姿優しく、音楽を愛し、心のままに歌を詠んだ。そして、400年の平安の世を打ち破る戦。平家物語の合戦シーンは、まるでそこに息遣いが聞こえるかのような臨場感で、血で血を洗う哀しみと、人が生きる力強さを語りかける。

 貴族の世から武士の世へ…移りゆく激流のなかを生きた人間のドラマ。いつの世も変わらない諸行無常の理をリアルに描き出す。




 平家物語について

 平家物語年表  

 御朱印  

 アクセス

御朱印扇 表

御朱印扇 裏
開創記念国宝平家納経柄(裏面)
御朱印扇ごしゅいんせん
店舗情報


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